古い車輌の写真

能勢電鉄 4 31形

31

RP610 Web#=939 掲載2015/3/25

写真1は31形31、1965/4/1能勢電鉄川西能勢口駅側線。

1926年能勢電気軌道は日本車輌で木造シングルルーフのボギー車31形31〜36の6輌を新製しました。
1956年31と32が瑞穂工業の手で鋼体化改造されました。鋼体化後は全長11.9m、自重18.5t、出力37.5kwX2、直接制御、定員76名、台車は住友のKS-50L。続いて残った4輌も鋼体化改造される計画でしたが、阪急より10形が導入されたことで余剰となり、木造車の32〜36は1961年に廃車となりました。
1966年に鋼体化された31と32も廃車となりました。

写真2は31形31、1966/1/25能勢電鉄山下駅側線。

施工した瑞穂工業は大きな車輛メーカーではなかったので、絹延橋にあった能勢電気軌道の車庫まで職人を派遣( 所謂出張工作 )して、車体鋼体化工事を行いました。職人さんが31形の屋根の上で工事をしている写真を見たことがあります。

写真3は31形31、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

新設された平野車庫を訪問した時に、31がダルマになっているのを見つけました。ヘッドライトが無くなると電車は亡くなったも同然です。

32

写真4は31形32、1966/1/25能勢電鉄川西能勢口駅側線。

車体鋼体化工事を施工したのが一流の車輛メーカーではなかったので、後にナニワ工機で車体新造された50形や60形と比べると野暮ったい車体に仕上がったのは致し方ありません。

ウインドウ・シルやヘッダーが残されていること、屋根全周に水切りが取り付けられていること、車体台枠が横から丸見えであることなどが、頭上のトロリーポールと相俟って田舎の電車をアピールしていました。

写真5と6は31形32、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

阪急から連結運転ができる10形が導入されると、連結運転ができない間接制御車の活躍できる範囲は川西能勢口〜川西国鉄前の僅か0.7kmに限られてしまいました。直接制御車は車体新造された50形60形合わせて5輌に押し出されて、31形は1966年に廃車となりました。

写真5と6に見られるように、廃車体になった32が60の廃車体と並んで置かれていました。草深い山里へ行く郷愁をそそる31形は、都会の木造電車10形や20形よりも魅力を感じていましたが、残念なことに乗車する機会には恵まれませんでした。






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