古い車輌の写真

能勢電鉄 5 40形、50形

45

RP611 Web#=940 掲載2015/3/27

写真1と2は40形45、1965/2/1阪急電鉄西宮車庫。

1923年に阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )は藤永田造船所で西宝線( 後の今津線 )用として小型の木造電車40型40〜43と45の5輌を新製しました。44は縁起担ぎの欠番です。全長11.4m、自重15.8t、出力50PSX2、定員65名、直接制御、台車はブリル76E1。模型ファンが喜びそうな、こじんまりとした電車でした。
1931年に42が阪急箕面線で消防自動車と衝突して廃車。
1932年ごろから多客時に能勢電鉄に貸し出されていました。
1940年40型で残った4輌が能勢電鉄に常時借り入れとなりました。
1948年43が電動貨車103と衝突大破、車籍を残したまま解体。

1954年に40と41が能勢電鉄に売却、台車と機器を流用して鋼体化され60形60と61となりました。このころに41の木造旧車体と阪急の電動貨車206の機器を組合わせて2代目の43が組立てられました。
1962年に最後まで残っていた45と2代目の43が阪急に返還され、廃車となりました。ただし不調な50と51に台車とモーターを提供しています。写真1と2のように50と51の台車を履いた状態で45は西宮車庫へ、43は池田車庫へ搬入され倉庫としてしばらく活用されましたが、後に解体されています。

50

写真3はトロリーポール時代の50形50、1965/4/1川西能勢口駅。

1921年に阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )は梅鉢鉄工所で伊丹線用として木造で直接制御の小型電車37型37〜39の3輌を新造しました。
1949年に3輌とも能勢電鉄に譲渡され70型71〜73となりました。
1953年にナニワ工機で71の台車と機器を流用、鋼製車体を新造して鋼体化され50形50となりました。全長14.0m、両運転台、自重17.5t、直接制御、出力37.3kwX2、定員95名。就役当初はトロリー・ポールを装備していましたが、後にZ型パンタグラフに交換されました。

写真4は50形50の廃車体、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

1962年に50形はブリル76E台車のホイールベースが1219mmと短いため走行中の揺れが大きく主電動機も不調で、廃車となる予定の40形43の台車と機器を取り上げて交換しました。この改造で50型50と51は60形と実質的に同形車となりました。
1966年に廃車、写真4のように倉庫として車体が活用されていました。

51

写真5と6は50形51、1962年ごろ能勢電鉄絹延橋車庫。

1953年にナニワ工機で73の台車と機器を流用、鋼製車体を新造して鋼体化され50形51となりました。
1962年不調だった台車と主電動機を、廃車となる予定の40形45の台車と機器を取り上げて交換しました。就役当初はトロリー・ポールを装備していましたが、後にZパンタに交換されています。
1966年以後直接制御で連結運転のできない51は61とともに、川西国鉄前〜川西能勢口間0.7qの区間運用に就いていました。
1982年川西国鉄前〜川西能勢口間の廃止に伴い廃車となりました。

写真6は50形51のブリル76E型台車でホイールベースは1219mmと短いものでした。走行中の動揺は酷かったようで1962年に45の履いていたブリル76E1型台車( ホイールベースが1473mm )にモーター諸共交換されています。

この50形と60形は単行でもサマになるスマートな張り上げ屋根の小型電車で、模型ファンの間ではとても人気がありました。模型メーカー数社から組み立てキットなどが発売されていました。

   前のページ 次のページ