古い車輌の写真

能勢電鉄 7 60形

61

RP613 Web#=942 掲載2015/4/13

写真1と2は60形61、1965/4/1能勢電鉄川西能勢口駅北方、妻面左側の丸い標識は続行運転を示しています。

1923年に阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )は藤永田造船所で西宝線( 後の今津線 )用として小型の木造電車40型40〜45( 44は縁起担ぎの欠番 )の5輌を新製しました。
1931年に42が阪急箕面線で消防自動車と衝突して廃車。
1932年ごろから多客時に能勢電鉄に貸し出されていました。
1940年40型で残った4輌が能勢電鉄に常時借り入れとなりました。

1948年43が電動貨車103と衝突大破、車籍を残したまま解体。
1954年に40と41が能勢電鉄に売却され、台車と機器を流用してナニワ工機の手で鋼体化され60形60と61となりました。このころに41の木造旧車体と阪急の電動貨車206の機器を組合わせて2代目の43が組立てられました。
50形50〜52と60形60と61の5輌が能勢電鉄の主力車として活躍していました。

60

写真3は60形60、1966/3/27能勢電鉄平野車庫。

沿線の住宅開発が進んだ結果、連結運転ができない直接制御の50形や60形は使いにくいものとなって行きました。阪急から間接制御の10形や20形が導入されると川西能勢口〜川西国鉄前間0.7qの区間運転にだけ使用されるようになりました。

写真4は60形60、1967/4/16能勢電鉄平野車庫。

1967年60が廃車、車体はしばらくの間平野車庫で保管されていましたが、後に解体されています。

写真5と6は60形61、1978/1/16能勢電鉄平野車庫。

1982年川西能勢口〜川西国鉄前間0.7q廃止に伴い、残されていた51と61は廃車。

川西能勢口〜川西国鉄前間0.7qの区間運転には51が主力車として運用され、61は予備車でした。そのせいか61の車体の整備状況は写真5や6で見られるように、かなり哀れな状態でした。

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