古い車輌の写真

能勢電鉄 9 500形

阪急今津線の500形

RP615 Web#=944 掲載2015/4/30

写真1〜3は阪急今津線で活躍している500形5輌編成、1964年ごろ 阪急今津線仁川〜甲東園間。

1938年阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )は宝塚線で使用するために500形全鋼製電車500形500〜511の12輌を川崎車輛で新製しました。

1940年には増備車として川崎車輛で512〜521の10輌を新製。
1943年京阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )は2次増備車として522〜530の9輌を新製。総勢31輌となりました。
500形は幅の広い貫通扉を持つ片運転台車で、モーターを1輌当り2台持つMcMcの2輌編成で就役、当初は立派な住友金属工業製の鋳鋼台車を履いていました。

1953年から1956年にかけて51形が610系に鋼体化改造される際に機器や台車の複雑なたらいまわしが行われ、500形は51形の履いていた古いブリル27MCB2があてがわれました。
1960年ごろから今津線に集中配属され、鉄になりたての私が毎日のように目にすることとなりました。このころは両貫通の付随車化された300形1両を挟んで3両編成で活躍しました。沿線人口の増加に伴い320形や380形を増結して4輌や5輌編成で活躍していました。写真1〜3はそのころに撮影した私にとって初期の鉄道写真です。

1969年までに予定されていた阪急全線1500V昇圧では、小型で古い500形は昇圧工事の対象から外されて廃車。

鉄になりたてのころは中学生だったこともあり、他社の電車を良く知りませんでした。その当時でもこの阪急320、380、500形小型電車のデザインは、バランスの良い好ましい電車と感じていました。

能勢電鉄へ譲渡された500形は10年前の阪急今津線の再現のような感じがしていました。

写真4は能勢電鉄建設中の平野車庫に留置された500形や320形、1967/4/16。

1967年に506、507、510〜530の23輌が能勢電鉄に貸与され、新設された平野車庫へ搬入されました。
1968年から借入車輛として能勢電鉄で運用が始まりました。
1973年に正式に阪急から能勢電鉄へ譲渡され能勢電鉄500形となりました。4輌編成の中間運転台の機器は順次取り外され、最終的には固定編成化されてしまいました。
1983年506、507、520〜523、528、529が廃車解体。
1984年524〜527が廃車解体。
1985年510〜517、530が廃車解体。
1986年最後まで残っていた518と519が廃車解体となりました。

広島電鉄宮島線 1078

写真5と6はモハ1070形1078、1971/5/1 広島電鉄宮島線荒手車庫。

1967年広島電鉄の宮島線( ここは広島市内線戸は違って専用軌道で、高床車用と低床車用のプラットホームが並んで設置されていました )へ500〜505、508、509の8輌が譲渡され、1070形1071〜1078として就役しました。譲渡に際して客用扉を運転台のすぐ隣に移設するという大きな工事も施工されました。

1987年に4輌、1988年に残りの4輌が廃車解体。これは市内線の低床車で全線を賄うという方針のためです。

   前のページ 次のページ