古い車輌の写真

能勢電鉄 12 103

103

RP618 Web#=947 掲載2015/5/12

写真1〜5は能勢電鉄の形式称号不詳103、1960年代 絹延橋車庫。

1917年能勢電気軌道は能勢口( 現在の川西能勢口 )〜池田駅前( 後の川西国鉄前 )の延長に際して、貨物営業用として梅鉢鉄工所で無蓋電動貨車103号を新造しました。当初はトロリー・ポールを立てるための柱が中央に設けられていましたが、後に門形のスタンドを立てて写真のような形となりました。
1962年ごろから休車状態だったようです。
1966年に廃車解体となりました。

103は車庫に行くと写真2のように常にアオリ戸を下げた状態でした。アオリ戸はとても重く、写真撮影用に上げようとしてもなかなか簡単にあげられるものではありませんでした。アオリ戸の外側は写真5のように鋼製でしたが、内側は写真2のようにものすごいウエザリングが施されていてボロボロでした。

この写真を撮った時は土砂崩れの復旧作業に駆り出された直後で、足回りも荷台も白い花崗岩質の土砂まみれでした。

鉄道省の川西駅まで一体何を運んだのでしょうか? 記録によれば能勢の里山で焼かれている木炭がたくさん運ばれていたようです。私が小学生のころ、木炭は細い雑木と萱で作った独特の四角い俵?に詰め込んで売られていました。雨の日には、もちろん運休でしょう。能勢の木炭は断面が菊の花のような模様をしていて菊炭という名前で茶道用の超高級品、今でも少量ですが焼き続けられています。

この写真を撮影したころ絹延橋車庫は、平野へ移転する前であまり手入れはされていませんでした。見上げると星空のようなトタン屋根、風が吹くとシャラシャラと鳴る波板の外壁、砂に埋もれた線路、隣の線路に入庫している古い木造ポールカー・・・・模型ファンだった私には、たまらない郷愁を掻き立ててくれました。

大きさは6.6m X 2.3m X 3.6m、自重7.62トン、荷重4.6トン、35PSのモーター2台を直接制御していました。ブレーキはハンド・ブレーキと電気ブレーキ?を装備していました。台車は定番のブリル21シリーズではなくて、2軸貨車のように台枠に直接軸受けを取り付けた簡易なものでした。路面電車のような救助網が残されていました。