古い車輌の写真

能勢電鉄 13 103、架線修理台車

103

RP619 Web#=948 掲載2015/5/13

写真1は能勢電鉄の形式称号不詳103、1965/4/1 絹延橋車庫。

これは1965年撮影の写真ですが、ポールスタンドの上に載っているべきトロリー・ポールがありません。何回か絹延橋車庫を訪問していますが、いつもこの定位置に止められていて移動した形跡はありませんでした。103の隣には、これから使用する中古パンタグラフが山積みになっていました。

写真2と3は能勢電鉄の形式称号不詳103、1966/1/25 絹延橋車庫。

デッキで開けっ放しになっている機器箱は黒ペンキ塗りの木製です。

もう検車部門は平野車庫に移動した後なので、車庫の屋根や壁のトタン板が台風に剥ぎ取られたままでした。

この次に訪問した時には、庫外の105や206の廃車体と一緒に103は、車庫諸共解体され更地になってしまいました。

架線修理用台車

写真4は能勢電鉄の架線修理用台車、1966/1/25 平野駅側線。

地方の電鉄に行くと手押し式のこのような架線修理用櫓付き台車が必ず何台か側線に止めてありました。検車区の皆さんが手作りしたものでしょうか、少しずつデザインが異なっていました。この台車の櫓に取り付けてある手摺は、折り畳みできたようです。

架線修理車

写真5は能勢電鉄の架線修理車、1967/4/16 平野車庫。

別の架線修理用櫓付き台車が建設工事中の平野車庫の側線に置いてありました。こちらの方は櫓の上の柵が立てられていましたが、これって転落防止の役に立つのでしょうか? 櫓の上まではどのようにして登るのでしょうか? 頼りない竹の梯子なんて、高所恐怖症の小生はお断りです。

写真6は能勢電鉄の架線修理車、1978/1/16 平野車庫。

サイト・オーナーは自動車のことに就いては全くの素人です。ラジェーターグリルの形状から判断するとトヨタ自動車製ランドクルーザーで、1955年8月にモデルチェンジを受けて20系と呼ばれていた時代のモデルと思われます。装備しているガソリンエンジンは案外大きく水冷直列6気筒OHVで3,386ccまたは3,870ccでした。ボディーのバリエーションは多彩でソフトトップ、ハードトップ、ピックアップ、バン、消防用シャシ、4ドアステーションワゴンがありました。この架線修理車はピックアップのボディーに、車庫で自作した櫓を載せたものでしょう。

ドアの模様のような文字は何でしょうか? 終点にある「日蓮宗無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山」通称妙見さんの僧侶から頂いたありがた〜い梵字( ボンジ インドの古代文字で仏教のおまじないに使用 )かな? それともオールド・イングリッシュ書体で書かれたアルファベットのF?


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