古い車輌の写真

能勢電鉄 14 106

106

RP620 Web#=949 掲載2015/5/14

写真1と2は能勢電鉄の100形106、1960年代 絹延橋車庫。

1962年能勢電気軌道は老朽化した無蓋貨物電車103の置換用として100形106を瑞穂工業で新造しました。
ただし電装品と台車は鋼体化前の旧31形35のものを流用しています。1926年に日本車輛で製造された能勢電気軌道オリジナルの木造車旧31形6輌は、2輌だけが同じ瑞穂工業で鋼体化され31と32になりました。残りの4輌の鋼体化工事は阪急から10形と20形が大量に導入されたことで沙汰やみとなり1961年に廃車となっていました。

写真1と2は鉄になりたての私が当時流行っていたハーフサイズ・カメラのオリンパス・ペンSで撮影したものです。フィルムサイズが18mm X 24mmと普通のライカ判の半分しかないために、粒子の細かいフジフィルム製ネオパンF( ASA感度は実に32 )を使っていました。しかしこのフィルムは暗い部分の描写に問題があり、かつ最もコントラストの強い特性を持っていました。

写真1と2で見られるように、まだ新車だった106の黒い塗装は艶を残していました。就役当初はトロリー・ポールを装備していました。

写真3と4は能勢電鉄の100形106、1965/4/1 絹延橋車庫。

数年後に絹延橋車庫を訪問した時は、良く使い込まれて程よくウェザリングがなされていました。バラスト運搬によく使われたためかアオリ戸周辺が白く汚れていました。

長さ11.9m、幅2.4m、高さ4.0m、自重17.0t、荷重5.1t、出力37.5kwのモーターが2台、ぢ車はKS-50Lを履いていました。

阪急や阪神には強烈な個性をアピールする形態の事業用電車がたくさん在籍していましたが、この能勢電鉄106は写真で見られるように端正なデザインでした。

写真5は能勢電鉄の100形106、1966/1/25 平野車庫。

写真5のときは全線の架線が改良された後で、貨物電車には普通のパンタグラフを取り付けてもらえず、より簡易なZ型パンタグラフが搭載されていました。端境期のためかトロリー・ポールも残されていました。

写真6は能勢電鉄の100形106、1978/1/16 平野車庫。

最後にトロリー・ポールが取り外された時代の写真です。トロリー・ポールの代わりに設置された台のようなものは架線修理用の櫓でしょうか?

1991年に保線用モーターカーが導入されると出番が無くなり、廃車となりました。

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