古い車輌の写真

能勢電鉄 15 105

105の廃車体

RP621 Web#=950 掲載2015/5/15

写真1は能勢電鉄の105、1960年代、写真2と3は1965/4/1、写真4〜6は1966/1/25 絹延橋車庫。

1903年大阪市は日本初の公営電気鉄道として第1期線花園西橋詰〜築港桟橋間5Kmを開業しました。初期に使われていた電車は10輌で、大倉組がドイツから12輌分輸入し大師電気鉄道( 後の京浜急行電鉄 )に預けていたヘルブランド社製単台車10台を使って、汽車製造会社で1903〜1904年にかけて1〜10の10輌が新造されました。そのうちの3、5と9の3輌は珍しい2階建ての路面電車でした。
1909年に2階建電車は3輌とも普通の電車に改造されました。

1912年に3と5の2輌が標準軌の松山電気軌道に譲渡され、1輌は無蓋貨物電車、もう1輌は有蓋貨物電車に改造されました。2階建電車の車体は三津浜海水浴場で「二階附電車納涼台」となったようです。
1921年に松山電気軌道はライバルの伊予鉄道に吸収合併されたためにゲージが標準軌の1435mmから鉄道省標準の1067mmに改軌され、松山電気軌道の在来車は使えなくなりました。改軌後松山電気軌道の1〜10と無蓋貨物電車は能勢電気軌道に譲渡され21形21〜30と105になりました。能勢電気軌道では105を有蓋貨物電車に改造し、沿線の貨物輸送に使用していました。
1953年に近くに猪名川が氾濫し車庫内で浸水したために休車状態に追い込まれました。

1957年に廃車、車体は絹延橋車庫で写真のように倉庫となりました。台車は京阪神急行電鉄( 後の阪急電鉄 )に譲渡され。「歴史的に大変貴重な大阪市電創業当時の現存する唯一の台車」として1957年から宝塚ファミリーランド内の「のりもの館」で保存、展示されていました。大阪市電最初の電車に使用されていたGE-1000主電動機1輌分が大阪市電由来のヘルブランド台車をはく105号電動貨車に再利用され、数奇な運命を経て現在大阪市交通局に保存されているヘルブランド台車に装着されています。

大阪市営交通100周年を迎えるにあたり、阪急電鉄から大阪市交通局に寄贈され、現在は大阪市交通局緑木検車場でほかの路面電車や古い地下鉄電車とともに屋内で大切に非公開で保存されています。

写真1は置かれて( 多分1957年頃 )から数年しか経過していないために、車体はそれほど傷んでいません。写真2と3は置かれてから約8年後、少し車体が傾き始めました。

写真4〜6はその1年後で、車庫自体が平野へ移転しており、写真4で見られるように台風で吹き飛ばされた波板の屋根や壁が復旧されずに残されていました。そのために壁側の側面の写真を撮ることができるようになっていました。

写真5は検車区が平野に移転したために、106の周囲を取り巻いていた残材や溶接用ボンベ、台車、パンタグラフなどが片付けられてすっきりとしていました。

10年近くダルマさんしていると運転台が垂下していますし、車体も向こう側に傾いていました。






   前のページ 次のページ