古い車輌の写真

能勢電鉄 16 206

206の廃車体

RP622 Web#=951 掲載2015/5/20

写真1と2は能勢電鉄の206の廃車体、1960年代、写真3は1965/4/1、写真4と5は1966/1/25 絹延橋車庫。

206の車体は車庫の一番奥に置かれていて、その横ではアセチレンガスを使って技術者の方が何やらややこしい備品を製作していました。

さすがに206は元阪急電車、ここに置かれてから数年経過して塗装がかなり傷んでいるのですが、車体には全く歪みや傾きが見られません。丸みを持った妻面、乗務員扉の上部が丸く仕上げられているなど、貨物電車が出自のはずですが、最近の実用一点張りの事業用電車とは異なり旅客用電車並みの丁寧な施工が目立ちます。

1920年に阪神急行電鉄( 後に京阪神急行電鉄を経て現在に阪急電鉄 )は神戸線用の有蓋電動貨車206を製造しました。
1949年に宝塚線の救援車で阪堺電気軌道出身の205が廃車された後を継いで宝塚線の救援車となりまた。
1954年に廃車。

1965年になると風雨にさらされているこちらの側面は、塗装が痛んできていました。

1966年に絹延橋車庫を訪問しましたが、もう検車区の機能は新しい平野車庫へ移転し、抜殻の建屋の壁や屋根の一部は強風で吹き飛ばされていて、206の普段は見えない側が撮影出来ました。

1923年に阪神急行電鉄は藤永田造船所で西宝線( 後の今津線 )用として小型の木造電車40型40〜43と45の5輌を新製しました。
1931年に42が阪急箕面線で消防自動車と衝突して廃車。
1932年ごろから多客時に能勢電鉄に貸し出されていました。
1940年40型で残った4輌が能勢電鉄に常時借り入れとなりました。
1948年43が電動貨車103と衝突大破、車籍を残したまま解体。

1954年に40と41が能勢電鉄に譲渡され、台車と機器を流用して鋼体化され60形60と61となりました。このころに余った41の木造旧車体と阪急の電動貨車206の機器を組合わせて2代目の43が組立てられました。このときに余った206の車体がここに鎮座することになったようです。
1962年に最後まで残っていた45と2代目の43が阪急に返還され、ただちに廃車となりました。ただし返還に際して不調な50と51に台車とモーターを提供し、50と51の履いていた台車とモーターを付けて返還されています。