古い車輌の写真

能勢電鉄 17 73?の廃車体

73?

RP623 Web#=952 掲載2015/5/21

写真1と2は能勢電鉄絹延橋車庫で入口に近い方の廃車体、1960年代、写真3と4は1965/4/1、写真5と6は1966/1/25 絹延橋車庫。

1950年代の日本はやっと戦争から復興したころで、まだまだ倉庫や詰所を新築で賄おうというところは少なかったようです。古い木造電車の台車や電装品を流用し、鋼製車体を新造して載せ換えた場合余った木造車体は丈夫で、詰所や倉庫、更衣室、組合事務所に好適でした。

車体の塗装や車両番号はそのままで台車や機器を取り除いて枕木で作った基礎の上に置かれるのが普通ですが、能勢電気軌道では写真のように敷地の外から良く見えた2輌分は明るい灰色に塗装されていました。

能勢電気軌道の木造ボギー電車で1950年代に廃棄された木造車体の中から、写真の車体番号を消去法で突き止めて行くのは面白い作業です。もちろん車両番号の痕跡は灰色の塗料で厚く塗りつぶされており、金属製の番号も取り外されています。

木造車だった初代31型31〜36の内、31と32は1956年に鋼体化された車体に載せ換えられました。33〜36は1961年に廃車となりました。しかし初代31型31〜36の木造車体は屋根が珍しくシングルルーフだったので対象外となります。
1958年に廃車となった37型37と38は3扉だったので、これも対象外。

阪急の37型37〜39が1949年に能勢電気軌道に譲渡され、70型71〜73と改番されました。1953年に台車と電装品を流用して71と73が鋼製車体に載せ換えられ50型50と51になりました。翌1954年に72の載せ換えが行われ52となりました。

このときに残された木造車体の内73が、このページの廃車体と思われます。車体側面左端と妻面に車輛番号を止めたボルトの穴が写真を拡大すると見えますが、穴の配置から71や72ではないようです。次ページの廃車体はベンチレーターの数から判断して40形と思われますので、この車体は70形73でなければなりません。

この廃車体はシングルルーフのように見えますが、雨漏り防止のためか後日トタンで葺き重ねたものです。手前の窓はガラスが失われたのでしょうか、これまたトタンで素人細工的補修が行われていました。

車体右奥には出入用の階段と危なっかしい雨除用のヒサシが取り付けられていました。

写真6は車庫に隣接する道路から撮ったものですが、枕木で作った乱杭歯状態の柵が良い味を出しています。





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