古い車輌の写真

京福電鉄福井支社 1

RP311 Web#=501 掲載2010/5/18

京福電鉄福井支社越前本線は1914年京都電燈により越前電気鉄道として新福井〜市荒川(現越前竹原)間が開業。そして小刻みに路線延長を繰り返し1929年福井〜新福井間複線化しました。

京福電鉄福井支社三国芦原線は1928年三国芦原電鉄により福井口〜芦原(現あわら湯のまち)間が開業。1929年京都電燈越前電気鉄道線の福井〜福井口間に乗り入れを始めました。

京都電燈は戦争のため1942年に配電統制令により設立された日本発送電へ事業を譲渡し解散されました。同社の京都(嵐山線、北野線、叡山線)と福井支社越前電気鉄道線での電鉄事業を引き継ぐため1942年に京福電鉄が設立され、越前電気鉄道線は同社の福井支社越前本線となりました。1942年中に三国芦原電鉄を合併し同社の福井支社三国芦原線となりました。また傍系の京都にある鞍馬電気鉄道、1944年には福井県の永平寺鉄道と丸岡鉄道も吸収合併しました。

2000年と2001年に福井支社で大きな事故があり、巨額の安全対策投資が必要となったので、第3セクターのえちぜん鉄道に福井支社の事業を譲渡しました。写真1と2は1973/6/3に撮影した福井駅近くの複線区間で、現在は北陸新幹線の工事のために福井口駅〜新福井が2006年に単線となりました。

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写真3はホデハ11形ホデハ16、1973/6/3京福電鉄福井支社福井駅にて。

三国芦原電鉄が1928年日本車両で製造した電車でした。当時日本車輌で地方私鉄向けとして設計されたもので、楕円形の戸袋窓がチャームポイントでした。良く似た電車としては上田温泉電軌(現上田交通)のデナ200形、琴平電鉄の3000形、一畑電気鉄道のデハ1形があります。

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写真4はモハ251形モハ251、1977/3/21京福電鉄福井支社福井駅にて。

モハ251形モハ251〜254は火災焼失車の車体新造復旧車でモハ241形と同形でした。このモハ251は製造当初は253として竣工し後にモハ251に改番されました。モハ251は2000年に正面衝突事故を起こし廃車されました。

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写真5はモハ261形モハ263、1977/3/21京福電鉄福井支社福井口車庫にて。

京王電気軌道が1940年に日本車輌製造で400形401〜410の10両を制御車として製造しました。1942年には電装が実施され、両運転台の制御電動車となりました。1944年の京王電軌が東京急行電鉄(大東急)に併合されデハ2400形2401〜2410となりました。

1964年に廃車となりデハ2402、2404、2408は京福電気鉄道福井支社へ譲渡され、ホデハ261形(後にモハ261形)262、263、261となりましたが、1976年に廃車されています。

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写真5はモハ271形モハ271、1973/6/3京福電鉄福井支社福井口車庫にて。

小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)が開業に備えて1926年〜1927年に日本車輌製造で28輌製造した1形で、東京急行電鉄(大東急)に合併されたときにデハ1150形に改番されました。1948年に1155〜1159、1162〜1165の計9両が相模鉄道に譲渡されました。1951年に相模鉄道の改番でモハ1000形1001〜1009となりました。1958年に1001〜1003と1004〜1006はそれぞれ3両固定編成に改造され、編成中間に入った1002と1005はパンタグラフ、運転台が撤去されました。1963年〜1964年に、1004〜1006が京福電気鉄道福井支社に譲渡されてホデハ271形となり、後にモハ271形に改番され1987年まで使われました。撮影したときはこの編成だけが旧塗装で残っていました。

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