古い車輌の写真

関東鉄道鉾田線 2 キハ41000、42200、710

キハ41004

RP544 Web#=793 掲載2012/9/23

写真1はキハ41000形キハ41004、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。

1934年鉄道省鷹取工場でキハ41000形キハ41089を製造。
1950年常総筑波鉄道常総線へ払下、キハ41000形キハ41004として就役。
こ写真を撮影した頃は関東鉄道ではキハ41000系の殆どがもう使われなくなっていました。

キハ41007

写真2はキハ41000形キハ41007、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。

1933年鉄道省は日本車輛でキハ41000形キハ41050を製造。
1950年新小岩工場でキハ41500形キハ41504に改造。
1954年大宮工場でキハ41300県キハ41323へ改造。
1954年車輛称号規定回税でキハ04形キハ04 24へ改番。
1958年常総筑波鉄道筑波線へ払下、キハ41000形キハ41007として就役。

キハ41301

写真3はキハ41300形キハ41301、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。

1934年鉄道省大井工場でキハ41000形キハ41053を製造。
1949年新小岩工場でキハ41200形キハ41206へ改造。
1952年新小岩工場でキハ41300形キハ41306へ改造。
1952年車輛称号規定改正に伴いキハ04形キハ04 7に改番。
1958年鹿島参宮鉄道鉾田線へ払下、キハ41300形キハ41301として就役。

キハ42202

写真4はキハ42200形キハ42202、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。

1936年東京横浜電鉄(後の東急)は変電所増設費用の抑制のため川崎車輛でガソリンカーキハ1形キハ1〜8の8輌を製造。ところが戦争激化のためガソリン価格が急騰し、貧弱な加速性能もあって中小非電化私鉄に譲渡されました。流線形で全長17.0m、出力170PSのGMH17形相当の川崎製エンジンを1台搭載、機械式、台車は鉄道省TR29相当のバーフレーム形。
1939年キハ2と8が五日市鉄道へ譲渡、改番されずに運用。
1940年南武鉄道が五日市鉄道を合併、改番されずに運用。
1944年国鉄に買収され、キハ2と8のまま改番されずに運用。
1950年鹿島参宮鉄道鉾田線へ払下げ、キハ42200形キハ42201と42202改番されました。キハ42201はキハ610に改造されましたが、キハ42202は原型のまま1977年頃まで運用されていました。

上田交通別所線 クハ273

写真5は上田交通別所線のクハ270形クハ273、1976/6/4上田交通別所線上田駅。

原型は写真4のように一種独特の流線形でしたが、改造により元々から電車であったような表情をしていました。ただしガソリンカー用軽量バーフレーム台車がその出自を物語っていました。詳しくはこちらをご覧ください。

キハ711

写真6はキハ710形キハ711、1975/6/6関東鉄道鉾田線石岡機関区。

1958年三井芦別鉄道は客貨分離のために新潟鐵工所でディーゼルカーキハ100形キハ101〜103の3輌を製造しました。全長20.1m、自重30.0t、出力180PSのDMH17B形エンジンを1台搭載、液体式、定員114名、自重30.0t、台車は菱枠形のNH38。
1972年三井芦別鉄道は旅客輸送廃止、3輌とも関東鉄道へ譲渡されキハ710形711〜713。

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