古い車輌の写真

学生時代の合宿 16 五所川原、大館

68620

RJ132 Web#=467 掲載2010/3/3

写真1〜3は8620形68620、1966/8/5五能線五所川原駅にて。

68620は1922年に汽車製造で作られました。シールドビームのヘッドライト、背の低い異様なデフレクター、クルクルパーの付いたストレート煙突と、イギリス的にスマートな86の魅力を壊す要素満点でした。


津軽鉄道の取材をするために五能線五所川原駅に到着すると、86が牽引する貨物列車が待っていました。私はこれから隣接する津軽鉄道の津軽五所川原機関区を訪ねようと気合が入っているところです。

五能線はこの頃でも列車の本数がとても少なく、次の接続列車までかなりの時間を待たねばなりません。地方私鉄に興味の無いクラブの先輩たちは、その間駅裏の広場で小学生たちの草野球に参加していたようです。

D51?の後補機

五能線から奥羽本線に戻り普通列車に乗ったのですが、軽い客車列車にもかかわらずD51と思しき蒸気機関車が後補機として付いてきました。東北本線の御堂(ミドウ)〜奥中山と同様に、奥羽本線にも碇ヶ関駅(イカリガセキ)〜陣場(ジンバ)という峠越えの難所がありました。はその区間では重い貨物列車D51が3重連で運行されていました。

C60 36

途中の駅でC60 36が牽引する普通列車と交換しました。奥羽地方では長大な旅客列車はまだディーゼルカーへの置き換えが進んでいなくて、このような列車が数多く運行されていました。

C60 36は1941年に汽車製造で作られたC59 39を1961年に浜松工場で改造した機関車です。

C11 102

写真6はC11形C11 102、1966/8/5奥羽本線大館駅にて。

C11 102は第2次形24〜140に属するもので、1937年に日本車輌で作られました。同和鉱業小阪鉄道線の取材を終わって大館駅のプラットホームに立つと、大館機関区のC11が1台待機していました。コールバンカーの背が高く改造されています。晩年のC11によく見られる左右の水タンクをボイラーを跨いで連結している不細工なステーがありません。

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